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秀麓齋の歴史

 秀麓齋の寺号「齋」というのは全国でも珍しく、日本三齋の一つといわれ、開創は延暦十七年(798年)征夷大将軍 坂上田村麻呂が奥州に蝦夷平定の軍を進めるにあたり戦勝と天下泰平を祈願するため、信仰する西国清水寺の観世音をこの地に勧請したことに始まる。

 大同二年(807年)比叡山伝教大師の法子 義 法師を開祖とし、天台宗に属し、大阪、四天王寺の末寺となった。十二世紀奥州平泉の藤原氏隆昌の頃には、その庇護をうけ末寺数十ヵ寺を有し最も栄えたが、藤原氏滅亡後は天台宗自体が衰退していった。

 室町期文明年間(1469〜1486)大本山總持寺直末、越後国岩般郡村上の霊樹山耕雲寺四世 瑚海仲珊大和尚を勧請開祖とし天台宗を曹洞宗に改宗した。

 御本尊 聖観世音菩薩は別名「利勝観音」と称し、坂上田村麻呂の蝦夷平定の際に戦勝を祈願し、そのご加護により大任を果たし得たという故事に因むものである。

伊達家十三代尚宗 御本尊「利勝観音」に深く帰依し寺の護持にあたり、秀麓寺を秀麓齋とし「開基」となる永正十一年(1514年)5月5日61歳にて没す「護国院殿香山円桂大居士」  伊達家十四代稙宗公、十五代晴宗公、伊達家の家老高舘城主 福田駿河守の位牌が安置されている。

 又、伊達家仙台藩祖 政宗公慶長二年より翌春3月迄滞留し、開基尚宗公 稙宗公三十三回忌、晴宗公二十一回忌を営み、供養の為、千体菩薩を奉納する。政宗公慶長六年(1601年)6月6日青葉城に入城。

秀麓齋名前